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             若手研究者の研究会等支援事業


 この事業は、東洋学・アジア研究に従事する若手研究者の企画する研究会・講演会・シンポジウム等 (以下、研究会等という) の開催を促進し、斯学の発展・普及に資することを目的とし、その開催経費の一部を助成するものです。

 *2024年度開催分の追加募集を5月末日まで行います。

東方学会会議室は、改修工事を終え、セキュリティー強化のためカードキーを持たない人の入館を制限しておりますので、土日祝祭日の利用は出来ません。

 実 施 要 項


1.内容・募集
 ・次年度(4月1日から翌年3月末日)に開催する研究会等の開催経費の一部として、1件5万円、
  年間10件を限度とする支援を行う。
 ・募集は、ホームページおよび 『東方学会報』 誌上において行う。
 ・採用にあたっては、学際的な企画を優先する。
 ・採用された企画に限り、東方学会会議室 (スクール形式で最大30名) を無償で使用することが
  できる。

2.資格・条件
 ・申請者は、東方学会会員で申請書提出時に45歳未満であること。
 ・同一申請者の申請は、1年1企画に限る。
 ・研究会等の参加者が5名以上で、複数の機関の研究者で構成されていること。
 ・研究会等の終了後1カ月以内に報告書を提出すること (800字以内、『東方学会報』に収載
  する)。

3.申請・審査
 ・次年度開催予定の研究会等の内容 (1. 会議の名称、2. 趣旨、3. 開催日時、4. 会場、5.参加
  予定者 〔所属も明記すること、多数の場合は5名程度〕、6. 他の機関からの助成金等の有無
  〔助成金の有無は採否には関係しない〕、7.経費の概算 〔会場費、交通費、資料代、飲食費等
  の項目を計上すること〕) を、A4用紙1枚以内にまとめ12月末日まで (消印有効) に事務局に
  提出すること (Eメール可)。
 ・審査は、2月開催の理事会において行い、2月中に採否を通知する。採用された企画には研究会
  等の開催後1カ月以内に報告書の提出を待って申請者の指定する銀行口座に振り込む。
 ・採用決定後、予定していた研究会等が中止あるいは申請内容に変更が生じた場合は、速やかに
  事務局に連絡すること。



 開催報告書 (開催順)

〔令和5年度〕
1. 朝野群載研究会  (櫻聡太郎)
 本研究会は、代表者を含むメンバーが従来から取り組んできた『朝野群載』の校訂・注釈作業を前提に、平安時代の地方行政制度について、唐日律令比較研究や考古学的発掘成果の知見と照らし合わせながら究明することを目的としたもので、今回は『朝野群載』巻27を主に取り上げた。7月11・25日の両日に、東京大学日本史学研究室において研究会を開催した。
 7月11日は、まず、佐藤信氏より、古代日本の地方行政研究における『朝野群載』所収文書の検討意義について見通しが示された。その後、室伏奏楽氏の検討をもとに『朝野群載』巻27所収文書の相互関係及び律令制的な文書監査システムの変容について、参加者一同で討議を行った。最後に、櫻が、12世紀の主税寮による正税帳等の帳簿監査のあり方について奈良時代以来の律令制的システムの変容を報告した。
 7月25日は、まず古田一史氏が、惣返抄の発給手続きについて、一度官途を離れたのち復帰した受領による発給申請という特異な事例をふまえつつ検討し、あわせて主計寮内部での指示書から申請を受けた側の具体的な動きを考察した。次いで、杉田建斗氏が、12世紀前半の受領(地方官)統制のあり方について、重要文書である四度公文の決裁手続きを復元し、それが形骸化しつつも院政期においても王権の地方統制に一定の役割を果たしていた可能性を指摘した。最後に、西本哲也氏が、12世紀初頭の山城国が中央に提出した文書目録の文字の校訂や語句への注釈を通じて、平安時代中後期の文書行政の一側面を検討し、全体を総括した。
 両日とも報告者以外に6名の学部生・院生が参加し、報告を聴講するとともに活発に意見が表明された。今回の研究会を通じて、形骸化した手続き処理として等閑に付されがちな平安時代後期の行政文書を検討する意義が共有され、両日の成果を踏まえた共同研究成果の公表に向け準備を進めている。


2. 東アジア村上春樹研究会・2023年度国際シンポジウム(権慧)
 東アジア村上春樹研究会(旧称・東大中文村上春樹研究会)は村上春樹およびその作品に関わる研究発表、討論などを通じ、世界の村上文学研究者に交流の場を提供し、東アジアにおける“村上春樹現象”に対する理解を深めることを目的とする。2011年に第1回例会を開催して以来、2023年12月現在まで合計20回の会合を行い、日本のみならず世界各地の村上文学研究者と交流を深めてきた。
 今年は11月23日に、四名の村上春樹文学研究者を招いて、オンライン国際シンポジウムを開催した。当日の事務局は村上の初期代表作『羊をめぐる冒険』(以下『羊』と略す)の舞台とも称されている北海道美深町に設置し、東方学会助成金申請者の私、権慧も加えた五名の講演者は現地のホテル青い星通信社にて登壇した。講演者以外に、地元の町民二名も臨席して質疑応答に参加しており、オンラインでは30名以上の参加者を迎えることができた。
  星野智之氏(TOURIST HOME & LIBRARY 青い星通信社代表)は「『羊をめぐる冒険』をめぐるゴールドラッシュの点と線」をテーマに、『羊』に主要舞台として登場する「十二滝町」と美深町の関連性を論じた上で、村上が愛読していた米国作家ジャック・ロンドン(1876〜1916)の著作『荒野の呼び声』等にまで展開した。 権慧(早稲田大学助教)は中国語圏と韓国における『羊』の出版状況を紹介し、さらに「やれやれ」などのセリフが、各国でどのように翻訳されているかを比較研究した。 楊炳菁氏(北京外国語大学・朝日大学准教授)は「クローズド・サーキット」をキーワードに『羊』の冒険主体を「僕」から「星羊」、「羊博士」、「鼠」などに拡大し、同作を日本近代化論の視点から考察した。 小山鉄郎氏(共同通信社編集委員・論説委員)は村上作品における聖地としての「四国」と「北海道」を紹介し、「十二滝町」など頻出する数字の奥義を論じた上で、さらに「川」と「滝」をキーワードに村上の新作小説『街とその不確かな壁』を解読した。 藤井省三氏(名古屋外国語大学図書館長・東京大学名誉教授)は「消える女と“満洲国”の記憶」をテーマに『羊』の登場人物「耳のきれいな女」の謎、村上作品における「耳」と「蝶」の象徴性などを論じ、同作を村上文学における日中戦争の記憶を描く小説シリーズの原点として位置付けた。
 全講演終了後に五名の講演者によるディスカッションを行い、参会者より質問を受け付け、同作のみならず、村上文学全体に対する理解を深めることができた。
 東方学会助成金は講師四名の講演料として使用させていただいた。改めて、深く感謝申し上げたい。

大元大明研究会 (正式名称:『大元一統志』『大明一統志』比較研究会)  (高橋 亨)
 本会は、13世紀以降に中国各地の情報が集積・編纂され、流布した過程を考察し、国家全体または各地域に関する境域意識が形成された背景の究明を目的とする。この目的のもと『大元一統志』『大明一統志』の記載を比較し、併せて各種地理書・地方志を中心とする関連史料群の分析を進めている。本会の基本的活動には、担当者が特定の地域について各種史料の比較検討を行い報告する例会がある。今年度は8月8日に『大明一統志』「外夷」「日本」に関する報告が為された。そこでは、どのような典籍・情報に基づき『大明一統志』「外夷」の項が叙述されたのかを検討し、如何なる意図のもとに「外夷」に関する情報が取捨されていたのかを探った。
 また、東北大学現代日本学研究室との共催でシンポジウム「一統志という物語」(2024年3月2日 東北大学文学部第二講義室+Zoom)を開催し、グエン・ティ・オワイン氏(タンロン大学)による「『皇黎一統志』におけるテキスト、著者、人物および「一統志」という概念について」と題する講演を行った。この講演では、『皇黎一統志』に見える「一統」という語には、権威・権力の一元化も含意されていたこと等が論じられた。また、蔦谷大輔氏(青森県立北斗高校)による「『津軽一統志』の物語的性質について」と題する講演も行われた。この講演では、『津軽一統志』について、津軽氏支配の正統性を主張する史書しての性質が解説された。加えて、高橋章則氏(東北大学)による総括コメントが為され、江戸時代の知識人の活動を踏まえ、典籍編纂の前提として情報が如何に伝播・共有されたのかを考察する必要性が指摘された。その後の質疑では、アジア各地に出現した「一統志」の多様性を確認するとともに、編纂者が「一統」という語に込めた種々の概念が形成された背景について議論された。
 貴会の助成は、上記シンポジウムの参加者が移動するための旅費及び懇親会費として用いた。ここに感謝を申し上げる。

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〔令和4年度〕
1. 東アジア村上春樹研究会・特別講演会 (権 慧)
 2011年に結成された本研究会は村上春樹文学およびその作品に関わる研究発表・討論などを通じ、村上文学研究者に交流の場を提供し、東アジアにおける“村上春樹現象”への理解を深めることを目的とするものである。
 2022年10月6日に特別講演会を開催した。新型コロナウィルス感染症対策のためハイブリッド形式を採用し、本部は早稲田大学大隈記念タワーに設置した。当日は対面10名、オンライン参加者40人以上の参加者を迎えることができた。
  講師としてマレーシア在住の日本文学翻訳家・エッセイストの葉蕙氏、コロラド大学名誉教授・日本文学研究者のフェイ・クリーマン氏にオンライン講演を行った。 葉氏は「村上春樹と旅に出る」をテーマに村上の旅行記を中心に論じ、葉氏自身の村上文学翻訳および経験談をシェアした。クリーマン氏は「ノンフィクションは文学ですかーー村上春樹における虚構と真実」をテーマに、『アンダーグラウンド』と『神の子どもはみな踊る』について分析を行った。コメンテーターとして、藤井省三氏(名古屋外国語大学 教授・東京大学名誉教授)とエリック・シリックス氏(早稲田大学国際文学館 助教)に対面で参加していただいた。
 質疑応答ではアメリカや中国の村上文学研究者から質問があり、議論を深めることができ、世界中で起きている村上ブームを再確認することができた。 本部には共同通信社、読売新聞社、NHKの記者が臨席して傍聴しており、講演会の様子はNHK WORLD NEWSROOM TOKYOにてライブ放送された。
 助成金は講師の講演料、お茶代、資料印刷費用として使用させていただいた。改めて、深く感謝申し上げたい。

2. 大元大明研究会(正式名称:『大元一統志』『大明一統志』比較研究会)  (高橋 亨 )
 2014年に結成された本会は、元代から明代前期にかけて中国各地の情報が編纂・集積されていった過程と、それを促した社会的背景の究明を目的として結成された。かかる研究目的のもと、当該時期に国家事業として行われた地理書編纂の集大成と言える二つの「一統志」、すなわち『大元一統志』と『大明一統志』の記載を比較し、併せて関連する史料の分析を進めてきた。構成メンバーは、当該時期の史料の性質に関心を有している、宋代から明代にかけての諸分野を研究する者たちである。
 本会の基本的活動として、三カ月に一度ほどの頻度で「例会」を開催してきた。そこでは、担当者が関心を有するテーマに基づき、『大元一統志』『大明一統志』に加え、『方輿勝覧』『大元混一方輿勝覧』『寰宇通志』及びその他の史料の記述と比較検討を行った結果を報告している。
 2022年度後半は、コロナウィルス流行状況の緩和にともない、特に『大元一統志』に記載の多く残る地域を選定して、上述のような「例会」(Zoomミーティング)を再開し、11月に江西・湖広地域、2月に四川地域に関する研究報告が為された。 また、早稲田大学講師 小二田章が主催した、ユーラシア各地における地理認識の比較をテーマとしたシンポジウム「地方史誌研究の現在2」(2023年3月13日、早稲田大学戸山キャンパス国際会議室+Zoomミーティングによるオンライン会議)に共催参加した。さらに、公開報告会「『オルジェイトゥ史』に描かれる14世紀のイランとユーラシア:宗教・政治・対外関係を中心に」(2023年3月20日、早稲田大学戸山キャンパス第十会議室+Zoomミーティングによるオンライン会議)を開催し、水上遼氏(東京大学東洋文化研究所特任研究員)による講演を行った。ともに様々な地域を研究対象とする多くの研究者の参加を得、本会が推進する研究活動に深化・広がりをもたらす活発な議論を行うことが出来た。
 これらの活動において、貴会よりいただいた助成は、各資料をコピーしPDF化する際のコピーカード代、及び幹事が公開報告会に対面参加するための旅費に充てさせていただいた。改めて、ここに記して感謝を申し上げる次第である。

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〔令和3年度〕
1. 東アジア村上春樹研究会設立10周年記念国際シンポジウム (権 慧)
 東アジア村上春樹研究会(旧称・東大中文村上春樹研究会)は村上春樹およびその作品に関わる研究発表、討論などを通じ、村上文学研究者に交流の場を提供し、東アジアにおける“村上春樹現象”への理解を深めることを目的とする。2011年に第1回例会を開催して以来、2021年10月現在まで合計16回の会合を行い、日本のみならず世界各地の村上文学研究者と交流を深めてきた。
  2021年10月7日には本会設立十周年を迎えており、当日には中国語圏を代表する村上春樹文学翻訳者の頼明珠、施小煒両氏を招き、記念国際シンポジウムを開催した。新型コロナウィルス感染症対策のためオンライン開催となり(本部は早稲田大学大隈記念タワー1102号室に設置)、日本・中国大陸・香港・台湾・マレーシア・アメリカから40人以上の参加者を迎えることができた。
 頼氏は「村上春樹と翻訳」という題目で講演を行い、ボブ・ディラン、カズオ・イシグロ、アリス・マンローに注目し、さらに村上が『Novel 11,Book 18』と『極北』を翻訳したきっかけで、台湾でも両作の中国語訳が台湾で出版されたことを指摘した。 施氏は「‘私文学’としての村上春樹文学―― 『ふしぎな図書館』を例に」という題目で講演を行い、「私文学」と「公文学」について論じたうえで、村上文学がいかにそれを継承・発展したかについて説明を加えた。それぞれ張瑤氏(北京語言大学東京校・講師)と藤井省三氏(名古屋外国語大学・教授 東京大学・名誉教授)がコメンテーターを務めた。 質疑応答ではアメリカや中国の村上文学研究者から質問があり、議論を深めることができ、世界中で起きている村上ブームを再確認することができた。
  本部には共同通信社と読売新聞社の記者が臨席して傍聴していた。 助成金は講師の講演料、お茶代、資料印刷費用として使用させていただいた。改めて、深く感謝申し上げたい。

2. 「日本古代における中国文化受容」研究会  (神戸航介)
 本研究会は、近年の律令受容史・中国文化受容論の隆盛を受け、中国文化受容のあり方を通時代的に明らかにすることを目的としたものである。2021年10月23日(土)文京区勤労福祉会館において研究報告会を開催し、報告者を含め8名の参加を得た。
 鈴木蒼「唐の科挙進士科と日本の紀伝道」は、9世紀中頃における大学寮の試験制度再編が唐の最新の科挙制度を取り入れたものであることを述べた上で、文章得業生出身者が補任される官職の実際の任官状況を精密に分析し、所謂「文人貴族」層の形成過程を論じた。会場からは、中国における科挙制度は門閥貴族の打破・皇帝権力の強化という側面があり、これを日本では矮小化した形でしか採用していないことの意味を考えるべきとの意見が出された。
 小塩慶「摂関・院政期の祥瑞」は、治部省より太政官機構を経て処理された律令制的祥瑞勘申体制が10世紀半ばに終焉を迎え、諸道官人・外記による勘申が直接に公卿会議に持ち込まれる仕組みへと変化したことを明らかにした。さらに摂関・院政期の祥瑞の実例を集成し、天人相関思想という背景を喪失しつつもその時代なりの意味をもって存続したことを論じた。討論では、「勘申体制」の概念は祥瑞処理だけでなく、10世紀後半以降の貴族社会全体の構造を把握する手がかりとなり得ることなどが指摘された。
 吉永匡史「律令体制と兵権―日唐の将軍号を手がかりに―」は、律令制下における将軍号に注目し、中国と異なり日本では節刀を授与される征討軍の長のみが将軍と呼ばれており、これは天皇の兵権を委譲する対象を最小限に絞ったためであると論じた。中国では旗である節が日本では刀剣に代えられた理由を古墳時代以来の権力委譲の象徴としての刀剣分与に求めたことの是非に議論が集中した。
 研究会を通じて、律令制形成期以降の中国文化の受容・消化の過程を広いスパンで多角的に議論することの重要性が共有され、閉会となった。

3. 大元大明研究会 (正式名称:『大元一統志』『大明一統志』比較研究会)  (小二田 章)
 2014年に結成された本研究会は、元末~明初期の史料状況とその社会的背景を探ることを目標として、その時期を挟む二つの「一統志」、すなわち『大元一統志』と『大明一統志』の記載を比較し、併せて関連の記載を検討する会である。構成メンバーは、当該時期に関心を持つ宋~明代の専門研究者であり、基本的活動としては、担当者ひとりが、上述の「一統志」の中の一地域または関心のあるテーマの記載を選び、それに関連する史料研究的報告を行っている。
 今年度は、コロナ禍のもとで通常活動が開催できなかったが、これまでの研究会の成果報告の一端として、小二田章・高井康典行・吉野正史編『書物のなかの近世国家―東アジア「一統志」の時代』(勉誠出版、2021年8月)を公刊した。また、小二田章の主催シンポジウム「地方史誌研究の現在」(2022年3月7日、Zoomミーティングによるオンライン会議)に共催参加し、また公開報告会「オスマン帝国の「総志」/「方志」?:「国家年鑑」/「州年鑑」の構成と内容」(2022年3月10日、Zoomミーティングによるオンライン会議)を開催し、大河原知樹氏(東北大学大学院国際文化研究科)による講演・討論を行った。共に白熱した議論を行い、研究の深化・広がりを生みだすことが出来た。
 いただいた助成は、上記『書物のなかの近世国家』編集の際に会員が行った資料複写などに充てたコピーカード、及び書籍やシンポジウム案内に使用した封筒など文房具、そして今期にて幹事交替を行うため、会の活動に必要な資料引継ぎ・共有目的のSSDメモリの購入費用に充てさせていただいた。改めて、ここに記して感謝を申し上げる次第である。
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〔令和2年度〕
1. 大元大明研究会 (正式名称=『大元一統志』『大明一統志』比較研究会) (小二田 章)
 2014年に結成された本研究会は、元末~明初期の史料状況とその社会的背景を探ることを目標として、その時期を挟む二つの「一統志」、すなわち『大元一統志』と『大明一統志 の記載を比較し、併せて関連の記載を検討する会である。構成メンバーは、当該時期に関心を持つ宋~明代の専門研究者であり、基本的活動としては、担当者ひとりが、上述の「一統志」の中の一地域または関心のあるテーマの記載を選び、それに関連する史料研究的報告を行っている。
 今年度は、コロナ禍のもとで通常活動が開催できなかったが、公開報告会「元・明一統志の非中華世界へのまなざし」(2021年2月22日、Zoomミーティングによるオンライン会議)を開催し、向正樹氏(同志社大学)による講演・討論を行った。質疑応答では会員ら中国史のみならず、日本史・ユーラシア史・文化人類学などの研究者から合計10件の質問があり、白熱した議論を行い、研究の深化・広がりを生みだすことが出来た。
  いただいた助成は、今後の会活動に資する会員の共通資料として、『点校本大明一統志』全八冊(巴蜀書社、2018)の購入費用に充てさせていただいた。改めて、ここに記して感謝を申し上げる次第である。

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〔令和元年度〕
1. 部派仏教研究会第九回会合 (八尾 史)
 部派仏教研究会は、部派仏教研究に携わる若手研究者の意見・情報交換の場として半年に一回会合を開催している。第九回となる今回の会合は2019年6月29日(10:00~18:00)、龍谷大学大宮キャンパスにおいて開催された。発表者を含む17名が関東、関西の10大学から参加した(大阪大学、大谷大学、国際仏教学大学院大学、駒沢大学、大正大学、東京大学、花園大学、佛教大学、立正大学、龍谷大学、早稲田大学)。
 今回の研究会は二部立てで行われた。まず参加者全員の自己紹介、近況報告につづき、第一部として以下の四人による個人発表とそれぞれについてのディスカッションが行なわれた。向田泰真(大谷大学)「福徳に関する一考察:舟橋一哉の説をめぐって」、奥野自然(龍谷大学)「『倶舎論』における無表業について」、吹田隆徳(佛教大学)「初期大乗経典に見る阿毘達磨の手法―果中説因論の応用として―」、名和隆乾(大阪大学)「パーリ三蔵における固有名と「肩書き」の語順に関する研究」。
 第二部では特別セッション〈有部研究の現状把握に向けて〉と題し、説一切有部研究史を振り返り課題をあぶり出すという主旨で以下の五人が発表した。一色大悟(東京大学)「説一切有部アビダルマ論書史研究の現状」、石田一裕(大正大学)「大毘婆沙論研究のこれまで」、梶哲也(大谷大学)「説一切有部における欲について 試論」、横山剛(日本学術振興会)「『五蘊論』における世親の著作姿勢」、八尾史(早稲田大学)「根本説一切有部律にもとづく阿含経典の復元:律の文脈の観点から」。続いて全体討論が行われ、最後に次回の研究会を2020年1月(日時未定)に国際仏教学大学院大学で開催することが決定されて閉会となった。
 助成金は遠方からの参加者の旅費、資料印刷費として使用させていただきました。記して感謝申しあげます。

2.大元大明研究会(正式名称:『大元一統志』『大明一統志』比較研究会)  小二田 章)
 2014年に結成された本研究会は、元末~明初期の史料状況とその社会的背景を探ることを目標として、その時期を挟む二つの「一統志」、すなわち『大元一統志』と『大明一統志』の記載を比較し、併せて関連の記載を検討する会である。構成メンバーは、当該時期に関心を持つ宋~明代の専門研究者であり、基本的活動としては、担当者ひとりが、上述の「一統志」の中の一地域または関心のあるテーマの記載を選び、それに関連する史料研究的報告を行っている。  今年度は、シンポジウム「東アジアの一統志」(2019年7月28日、於早稲田大学戸山キャンパス36号館681教室)を開催し、会員ら中国史のみならず、日本史・ヴェトナム史・朝鮮史及び中国の方志学の研究者と議論を行い、地域・ディシプリンを越えた学術交流の機会を作りだした。詳細は添付のポスターにあるが、報告者たちと活発な議論を行い、研究の深化・広がりを生みだすことが出来た。  いただいた助成は、シンポジウムのポスター・参考資料の印刷経費、及びシンポジウム終了後の懇親会費用に使用した。改めて、ここに記して感謝を申し上げる次第である。

3. 性相学再考:部派仏教研究会第十回会合 (一色大悟)
 部派仏教研究会第十回会合は,2020年2月2日(日)13:00~18:00に国際仏教学大学院大学において開催された。今回は仏教の内部で継承されてきた部派仏教研究の意義を学際的視点から問い直すことを課題とし,若手研究者を中心に15人(含発表者)が10大学(京都大学・国学院大学・国際仏教学大学院大学・駒沢大学・正眼短期大学・大正大学・東京大学・仏教大学・立正大学・早稲田大学)から出席し,意見を交換した.出席者の自己紹介と近況報告の後,研究発表が二部構成で行われた。
 第一部では,部派仏教を専門とする5人が登壇し教理学の諸相を論じた.発表者と題目は以下の通りである.水野和彦(正眼短期大学)「禅定を妨げる煩悩群―掉挙についてアビダルマ所説を中心に―」,田中裕成(仏教大学)「俱舎論の不浄観」,石田一裕(大正大学)「中有可転説についての考察」,劉暢(国際仏教学大学院大学)「『六十頌如理論注』におけるアビダルマ教学の位置付けについて」,横山剛(日本学術振興会,国際仏教学大学院大学)「『中観五蘊論』の慧の心所以外にみられる経典引用について」。
  これを受けて第二部では,インド哲学分野からお招きした興津香織氏(国学院大学)に「近世における仏教学研究の一側面―『倶舎論』と『金七十論』との関わりから」と題して講演を賜った.興津氏は,近世日本において倶舎論研究からインド哲学サーンキヤ派研究が開始したことを題材に,18世紀の仏教界に批判的実証的研究が発達したことを論じた。この講演に対し一色大悟(東京大学)は「東アジア仏教伝統におけるアビダルマ考究の意義」と題してコメントし,興津氏の研究を東アジアの部派仏教研究史上に位置づけることを試みた。
 さらに全体討論によって議論を深めた後,本年6月に京都で次回会合を開催することを確認して閉会した。 助成金は遠方からの参加者の旅費として使用した。この場を借りて感謝申し上げる。


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〔平成30年度〕
1. 19世紀清朝の政治変動に関する研究会(村上正和)
 「一九世紀清朝の政治変動に関する研究会」は、2018年5月25日(金)に東洋文庫七階の会議室において開催された。本研究会は、嘉慶四年(1799)から始められた嘉慶帝の親政によって、19世紀の清朝政治と中国社会がどの様に変貌したのかを明らかにしていくことを目的とするものである。これまでも研究会を継続的に開催しており、主として上諭と実録の翻訳に基づく議論を展開してきた。
  今回の研究会では、相原佳之(東洋文庫)、村上正和(新潟大学)の両名が報告担当者となった。議論の対象となった個別テーマには、嘉慶四年の災害救済、山東省で発生した廩生による役所の襲撃、ロシアとの国境地帯の巡邏に関する嘉慶帝の態度、養育兵の増員をめぐる対応、さらには嘉慶帝と両江総督とのあいだで行われた人事評定をめぐる文書の往来といった諸点がある。人口増加が清朝の統治と中国社会にあたえたインパクトを、嘉慶期の政治改革という点から改めて整理しなおすことで、より広がりのある議論を構築できるのではないかという見通しも参加者より提示された。この点を深化させていくことは今後の課題となる。さらには、上諭と編纂史料である実録の違い、公文書の保管と実録編纂時の利用、実録を編纂する過程で付け加えられた文言の解釈といった史料論的な議論も行えた。上諭と実録にはかなりの異同がある。実録は編纂史料であるとはいえ、軽視できるものではないことは改めて強調しておきたい。
  なお助成金は、参加者の出張旅費に使用させていただいた。本研究会では非常に活発な議論が展開され、当初の想定以上に研究を進展させることができた。この場を借りて関係各位に心より感謝申し上げたい。

2. 中観派ワークショップ2018 ―バーヴィヴェーカと煩悩―(新作慶明)
 2018年6月16日(土)から17日(日)までの2日間、龍谷大学(大宮キャンパス)にて「中観派ワークショップ2018」「バーヴィヴェーカと煩悩」を開催した。
 初日:趣旨説明・参加者の自己紹介と近況研究報告・研究発表(西山亮・斎藤明・Hyoung Seok Ham・横山剛)
 二日目:バーヴィヴェーカ作『般若灯論』第23章の輪読・次回ワークショップ打ち合わせ 本ワークショップは、インド仏教中観派の思想を研究する若い世代が集まり、中観思想研究の現状に関して意見交換を行い、その課題を検討することを目的に2013年に発足した。
 本年度で6回目をむかえる「中観派ワークショップ2018」には、国内から、全国の若手研究者(修士・博士課程の学生を含む)、桂紹隆・斎藤明・宮崎泉・吉水千鶴子教授らが参加した。また、Malcolm David Eckel(ボストン大学)教授をゲストに迎え、諸外国からの留学生も多く参加した。参加者は総勢30名(含部分参加)となり、過去もっとも盛況な会となった。
 初日には、上記4 名により、バーヴィヴェーカ(5–6世紀)や中観派に関連する研究発表が行われた。本年度のワークショップでは、若手研究者を中心とする世代を越えた学術交流のみならず、バーヴィヴェーカを専門とするEckel教授や留学生との議論を通じた国際的な交流もなされた。参加者の間で国内外の問題を共有することができたことは、大変有意義であった。 二日目の輪読では、『般若灯論』第23章「顛倒の考察」に関する研究発表(小坂有弘)の後、参加者全員で同章第1偈注釈箇所から第4偈注釈箇所を輪読した。同章の主題である煩悩およびバーヴィヴェーカ特有の論証式に関して活発な議論が行われ、それらの特徴の一端が明らかになったことは、今後のバーヴィヴェーカ研究に資する大きな成果となった。

3. 部派仏教研究会第七回会合(一色大悟)
 2018年6月23日,佛教大学紫野キャンパスにて「部派仏教研究会第七回会合」を開催した.本会合は,部派仏教分野を専門とする若手研究者が発表して情報交換し,議論を通じて理解を深めることを目的とする.本会合には開催場所である佛教大学のほか,東京大学,早稲田大学,国際仏教学大学院大学,立正大学,大谷大学,龍谷大学(順不同)からも若手研究者ら14名が参加した.  本会合では6人の若手研究者が1時間の枠を分担し,発表30分,全体討論30分を行った.発表者の氏名,所属,題目は,発表順に次の通りである.八尾史(早稲田大学高等研究所)「根本説一切有部律における相応阿含経典:参照と言及の諸相」,田中裕成(佛教大学大学院)「四聖諦の自性とその背景」,小谷昴久(東京大学大学院)「同時因果に関する二つの異なる定義を考察するための資料―江戸時代の倶舎学研究―」,中島正淳(佛教大学大学院)「シュリーラータにおける認識の構造」,倉松崇忠(大正大学大学院)「不染無知に関する一二の問題」,横山剛(日本学術振興会特別研究員PD・国際仏教学大学院大学)「有部の法体系における類似する諸法―『中観五蘊論』が伝えるその区別について―」.各発表では全体討論に先立ち,横山剛(八尾発表),八尾史(横山発表),木村紫(小谷・中島発表),一色大悟(倉松・横山発表)がコメンテーターを勤め,発表内容を総括した. 以上の発表に加え,今回佛教大学で開催したことを好機と捉え,松田和信先生(佛教大学教授・図書館長)をお招きして特別講演「チベットに伝えられた『倶舎論』関連の梵文写本管見」を開いた. これらの発表と講演により部派仏教の経典・律・論書に関する最新の研究成果が共有されたのみならず,今後の研究課題も発掘され,所定の目的は達せられた.  2019年1月に大正大学で次回会合を行うことを確認し,閉会となった.

4. 国際ワークショップ「東アジア身分制・支配秩序研究の新発展」(安部聡一郎)
 国際ワークショップ「東アジア身分制・支配秩序研究の新発展」は、2018年12月22日(土)10時から17時まで、金沢大学角間キャンパス・人間社会2号館にて開催された。金沢大学外国人研究者として滞在中の王安泰(南開大学歴史学院・副教授)と受入教員の安部聡一郎(金沢大学歴史言語文化学系・准教授)が主催者となり、当該課題の検討と研究者相互の交流を目的として、若手研究者3名を中国より招聘し、金沢大学からの参加者3名と合わせ8名により実施した。外部にも公開し、大学院生・学内外の研究者数名が傍聴に訪れた。  発表は以下の順に6件が行われた。安部聡一郎「濱口重國『唐王朝の賤人制度』翻訳の意義」、吉永匡史(金沢大学歴史言語文化学系・准教授)「唐代奴婢売買法制考―唐関市令と吐魯番文書―」、陳珈貝(金沢大学外国人研究者、南開大学歴史学院‧博士後研究員)「邊緣的中央─戰國楚墓喪葬用器所見的郢都規制」、劉可維(南京師範大学社会発展学院・副教授)「「漢魏故事」から西晋「新礼」へ―漢晋間の喪葬儀礼―」、徐暢(北京師範大学歴史学院・副教授)「河南南陽市博物館藏《李孟初神祠碑》所見“勸農賊捕掾”考」、夏炎(南開大学歴史学院・教授)「德政背后的焦虑:唐代地方官祈雨的史实重建」。最後に古畑徹(金沢大学歴史言語文化学系・教授)、王安泰の両名が総括コメントを行った。本企画は濱口重國『唐王朝の賤人制度』中文訳作成にかかる共同研究を母体に行われたが、史料から制度の変遷を明らかにし、現実社会の動向も意識しつつ漢唐の歴史的性格に迫る成果が得られ、討論も傍聴者も交えて活発であり、充実したワークショップとなった。  助成金は招聘旅費の一部として使用し、残額は資料費・供茶費として活用した。国際ワークショップに相応しい討論環境を整えることができ、落ち着いた雰囲気のもと充実した検討を行うことができた。関係の各位に心より御礼を申し上げたい。

5. 部派仏教研究会第八回会合 (八尾 史)
  部派仏教研究会は、部派仏教研究に携わる若手研究者の意見・情報交換の場を提供することを旨として半年に一回開催されてきた。第八回となる今回の会合は2019年1月26日(12:00~17:00)、大正大学綜合仏教研究所において開催された。発表者を含む若手19人(約半数が学生)が関東および関西の11大学から参加する盛況となった(大谷大学、国際仏教学大学院大学、駒沢大学、大正大学、筑波大学、東京大学、佛教大学、武蔵野大学、立正大学、龍谷大学、早稲田大学)。
 参加者全員の自己紹介、事務局メンバーの交替に関する報告にひきつづき、以下の四人による発表が行なわれた。
 劉暢(国際仏教学大学院大学)「四十四智と七十七智について」、横山 剛(国際仏教学大学院大学)「『中観五蘊論』 における心相応行法としての解脱(vimukti)について」、田中裕成(佛教大学)「譬喩師系四諦説の整理」、石田一裕(大正大学)「『大毘婆沙論』における西方諸師説―倶有諸法の解釈について―」。 劉氏の発表は十二因縁を体得する智が諸経論にどのように解説されているかを分析・分類したものである。横山氏は解脱を心相応行の一つとして数えるという、有部の伝統としては異例の理解を『中観五蘊論』が提示する理由を検討された。田中氏は馬鳴の詩を引く羅什作『禅法要解』の読解を通じて譬喩師系の四諦説を紹介された。最後に石田氏の発表では『大毘婆沙論』における西方諸師の倶有諸法の定義とそれに対する毘婆沙師の批判が検討された。それぞれの発表のあと、打ち解けた雰囲気の中で活発な討論が行われた。
 最後に次回の研究会を2019年6月に龍谷大学で開催することが決定された(日時は未定)。 助成金は遠方からの参加者の旅費として使用させていただきました。記して感謝申しあげます。

6. 「東アジアの王権と正統性」ワークショップ(渡邉将智)
 本ワークショップは、2019年2月16日に岡山大学津島キャンパスにて開催した。当日は、東アジアにおける王権の特質について、正統性の確立・維持・動揺の各段階に注目して検討した。また、正統性を確立・維持するために必要とみなされてきた様々な要素について、時代と地域を異にする事例を比較しながら議論した。
 渡邉将智(就実大学講師)は「「古制」と「故事」―後漢明帝の帝位継承と東平王輔政―」と題して報告を行い、王権の正統性の動揺が王朝の統治理念に与えた影響について、後漢時代の明帝の帝位継承問題を中心に検討した。三田辰彦(東北大学大学院助教)の報告「魏晋南北朝の宗廟祭祀における「太祖」」では、魏晋南北朝時代における「太祖」の廟号の位置づけ方に注目し、宗廟の設営とそこでの祭祀が王権の正統性の表明につながる点などについて論じた。武井紀子(弘前大学准教授)は、「律令財政構造にみる天皇と地方支配」と題して、日本古代における律令財政の構造とその展開について検討し、王権がその正統性を示す税の徴収・再配分を介して地方に支配を段階的に及ぼしていく過程を検証した。
 以上の報告を踏まえて、総合討論では、王権が誰に向けて自らの正統性を主張していたのか、そのためにどのような措置を講じたのかという問題を中心に、日本・中国の事例を主に比較・検討した。このワークショップを通じて、アジア史を専門とする若手研究者が専門分野の枠に囚われることなく自由に討論し、相互の理解と交流を深めることができた。

7. 「東アジアにおける政治・文物・思想」ワークショップ(小野 響)
 2019年3月9日、早稲田大学戸山キャンパス33号館333教室にて、「東アジアにおける政治・文物・思想」ワークショップを開催した。
  本ワークショップは、東アジア世界研究の諸種の視角の内、「政治」・「文物」・「思想」の三点に焦点をあて、かかる視座からの最新の研究を報告し、枠組みを超えて最前線の研究を共有する事を目指し、総勢4名による報告を行った。
 まず、伊藤光成「三国魏の明帝による遼東遠征をめぐって」は、曹魏明帝の遼東遠征を整理検討し、明帝の東方における曹魏の秩序形成を狙ったものであったこと等を明らかにした。そして陸帥「竹籬は穿ちて完からず―六朝建康城の形態の理想と現実―」は、六朝建康城の景観は南方の気候風土に適した部分も少なからず存在し、必ずしも西晋洛陽の模倣に終始したのではない事等を述べた。梁辰雪「日本蔵『新撰陰陽書』テキストに関する一考察」は、宮内庁所蔵の『新陰陽書』のテキストが中国由来のものであり、また『新撰陰陽書』は日本に伝来後、陰陽寮の教科書として用いられていた事等を述べる。続く、磯部淳史「清初の満漢問題と三藩―藩王家から漢軍旗人へ―」は、従来、満族や漢族といった種族的な問題に帰せられがちであった清初の人々の動向を、三藩の藩王家から旗人へと移った人々を中心に検討し、必ずしも生来の出自がそれぞれの立場を規定するのではないこと等を論じた。
 以上の4つの報告を踏まえ、申請者を総合司会とし報告者とワークショップに参加した人による総合討論を行った。そこでは、報告に関する個別的質問のみならず、「政治」・「文物」・「思想」の三点を如何にして研究に取り込んでいくかという参加者それぞれの研究課題にも絡んだ議論も行われ、予想以上の収穫を得た。当日の参加者は24名であった。
 なお本助成金は参加者の交通費、資料印刷費に使わせていただいた。この場を借りて感謝申し上げる。

8大元大明研究会(正式名称:『大元一統志』『大明一統志』比較研究会) (小二田 章
 2014年に結成された本研究会は、元末~明初期の史料状況とその社会的背景を探ることを目標として、その時期を挟む二つの「一統志」、すなわち『大元一統志』と『大明一統志』の記載を比較し、併せて関連の記載を検討する会である。構成メンバーは、当該時期に関心を持つ宋~明代の専門研究者であり、基本的活動としては、担当者ひとりが、上述の「一統志」の中の一地域または関心のあるテーマの記載を選び、それに関連する史料研究的報告を行っている。
 今年度は、会員の多忙がより顕著になり、3カ月に1回平均での研究会開催に留まった。会員と協議した結果、シンポジウムを2019年7月28日に開催するものとし、総括として『アジア遊学』特集号の企画申請を行うこととした。そして、シンポジウムに向けた「予備報告会」を開催し、議論のさらなる発展を図ることを計画した。
 詳細は添付の企画書にあるが、2019年3月14日(木)、18時半から早稲田大学戸山キャンパス第四会議室にて、シンポジウムにむけた予備報告会(白井哲哉氏・岡田雅志氏の報告と討論)を行った。白井氏は『大明一統志』が日本に導入された経緯とその日本の地誌編纂に与えた影響について、岡田氏は『大南一統志』の編纂とその記載に見える地域記載について、報告の概要を述べ、参加者とシンポジウムの議論に向けた活発な討論を行っていた。
 いただいた助成は、京都在住の岡田氏の会議参加経費、会議及び例会に使用した資料のコピー代に使用した。改めて、ここに記して感謝を申し上げる次第である。

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〔平成29年度〕
1. 国際研究集会「東アジアの皇后儀礼の比較研究」(稲田奈津子)
 2017年4月2日(日)午後1時から5時まで、東京大学史料編纂所演習室において、科学研究費補助金基盤研究(C)「東アジア諸王室における「后位」比較史研究に関する国際的研究基盤の形成」(研究代表者・伴瀬明美)主催の国際研究集会「東アジアの皇后儀礼の比較研究」を開催した。本科研グループは、本年7月に台湾中央研究院近代史研究所で開かれる国際学術研討会「世界史中的中華婦女」に、「性別、禮制與國族:中國皇后禮儀與東亞世界」と題してパネル参加の予定で、今回はその準備会も兼ね、鄭雅如氏(中央研究院歴史語言研究所)に研究報告をしていただくとともに、小報告(稲田奈津子・伴瀬明美・豊島悠果)およびコメント(保科季子)があった。
 鄭雅如報告「北魏的皇后、皇太后制度」(通訳は李航氏・大手前大学博士後期課程)では、漢民族とは異なる習俗をもつ鮮卑族国家における皇后・皇太后について、その展開や性格が論じられた。鮮卑族の婚姻習俗では諸妻間に嫡庶の区別が無く、継帝生母が皇后に追封され、諡号奉呈や太廟配饗の対象とされた。一方で、継帝生母は賜死とされる習慣のため皇太后は不在であったが、やがて保母が母親代わりとして皇太后に立てられ、母権を重視する鮮卑の習俗を背景に、皇太后が後宮や朝廷において権力を握るようになったことを論じた。
  報告をもとに活発な質疑応答がおこなわれた。特に、これまで定例研究会(東アジア后位比較史研究会)を重ねる中で、日本の后(母后)の在り方について、北魏など北方遊牧民族の国家のそれに近いのではないかとの指摘がなされていたが、今回の鄭報告により、相似点が具体的に示され、また「中国礼制」自体の形成過程の解明という重要な論点が提示されるなど、大きな収穫を得ることができた。参加者は、台湾からの2名、関西からの4名を含む、計22名であった。

2. 研究会「神異僧が導く美術品伝播の様相に関する基礎的研究」(田林 啓)
 2017年8月20日(日)午前10時から午後5時20分まで、大和文華館美術研究所会議室にて研究会を開催した。
 当研究会は、不可思議な行状を示した所謂神異僧に焦点を当てることで、異なる地域、時代において生み出された東洋美術作品同士を比較し、その伝播の様相、制作背景について議論することを目的とした。特に僧・劉薩訶(慧達)を主なテーマとした。
 報告者は、田林啓(白鶴美術館)、菅村亨(広島大学)、瀧朝子(大和文華館)、張善慶(蘭州大学)、許棟(太原理工大学)、趙青山(蘭州大学)の6名で、中国語から日本語への通訳は山本孝子(京都大学)、王輝鍇(神戸大学)が担当し、総括は百橋明穂(神戸大学)が行った。
 劉薩訶は数々の伝説を持ち、尊崇を集めた中国僧であるが、兵庫県極楽寺蔵「六道絵」(十王像を含む)にも傍題を持つ薩訶像が描かれ、日本でも造形化されていたことが近年指摘されたが、それは冥界の罪人としてであった。今回の各報告により、神異僧・劉薩訶が如何に多様な性格を持ち、地域と時代によって取り上げる性質が異なっていたかが明確になり、それを軸として、六道絵、十王図、そして僧の墓誌や塔銘にまで議論が及んだ。これにより多くの作品同士が結びつき、今後の比較研究に資する成果が上げられたと言える。
 全体討論では、会場からも、薩訶を描く作品と具体的な儀礼との関係、神異僧という言葉の妥当性、説話の伝承方法、史料の読み方の他の可能性など、文学、仏教、歴史といった各方面からの質問と意見があり、議論の幅が広がると共に新たな研究課題が生み出された。
 参加者は、計30名であった。助成金は、中国人研究者の参加経費及び日文・中文の配布資料の制作費、会場でのお茶代などの一部に使わせて頂いた。関係各位にここに記して深謝申し上げます。

3. 中観派ワークショップ2017 「『明句論』第18章のテキストクリティークと思想解明」 (新作慶明〉
<概要>  2017年12月23日(土)から24日(日)までの2日間、武蔵野大学(有明キャンパス)にて「中観派ワークショップ2017「『明句論』第18章のテキストクリティークと思想解明」」を開催した。
 初日:趣旨説明・参加者の自己紹介と近況研究報告・研究発表(斎藤明・佐藤晃・馬雲一・王俊淇・新作慶明)
 二日目:チャンドラキールティ作『明句論』第18章の輪読・次回ワークショップ打ち合わせ
 本ワークショップは、インド仏教中観派の思想を研究する若い世代が集まり、中観思想研究の現状に関して意見交換を行い、その課題を検討することを目的に2013年に発足した。 本年度で5回目をむかえる「中観派ワークショップ2017」には、桂紹隆・斎藤明・宮崎泉・何歓歓教授の他、修士課程の学生を含む国内外の研究者総勢17名(含部分参加)が参加し、年齢・立場を超えて活発な議論が行われた。
<詳細> 初日には、上記5名により、チャンドラキールティ(およそ7世紀)や中観派に関連する研究発表が行われた。研究発表および発表者と参加者による議論を通じて、近年研究環境の進展が著しい中観派研究に関する国内外の最新の研究成果の情報が共有され、分野の現状と課題が浮き彫りとなったことは、有意義であった。 二日目の輪読では、最新の研究成果の一つである『明句論』第18章「アートマン(我)の考察」サンスクリット校訂テキストを用いて、参加者全員で同章第1偈注釈箇所から第5偈注釈箇所を輪読した。同章の主題であるアートマン、業や煩悩の根源としての分別・戯論などの重要概念が説かれる文脈を丁寧に解読し、従来の解釈や現代語訳に対して批判的な検討が行われたことは、大きな成果となった。

4. 「東アジア世界における「内」と「外」」ワークショップ(小野 響)
 2018年3月10日、早稲田大学戸山キャンパス32号館128教室にて、「東アジア世界における「内」と「外」」ワークショップを開催した。  本ワークショップは、東アジアのあらゆる「内」「外」に焦点を当て、その区分けが当時の世界において如何なる影響を発揮したのかを明らかにする事を目指し、日本史、中国史あわせて6名による報告を行った。
 まず、小野響「後趙石勒期宗室考」は、五胡十六国時代の宗室の「内」「外」が、血縁ではなく、君主の恣意に基づいたものであった事を明らかにした。そして、安永知晃「後漢の皇后・皇太后と天命の内と外」は、皇帝の生母が先帝の嫡妻ではない場合、天命によらない新たな権威を必要としていた事を述べた。板橋暁子「東晋中期における「内」と「外」」は、前燕と東晋の関係構築を手がかりに、当該時代の「内」「外」認識の流動性を指摘した。続く、武内美佳「平安時代における「内」」は、日本古代における「内」において天皇に奉仕する女官を取り上げ、平安時代の「内」と「外」、そして当該期天皇制について論じた。新津健一郎「爨公墓誌からみる8世紀の南中地域社会」は、唐代羈縻州という「内」と「外」の境界地域において、羈縻州が一方に傾斜していく時にどのような力が働いていたのかという点を解明した。銭晟「東アジア流通構造の「外」と「内」」は、中国、日本、琉球の仲介業という「内」と「外」を繋ぐ存在について基礎的な比較を行い、東アジア商業圏の構成を分析した。
 以上の6つの報告を踏まえ、報告者とワークショップに参加した人による総合討論を行った。そこでは、報告に関する質問のみならず、「内」「外」の線引きをどのように設定するか、という根本的な疑問点についての討論を通して、大きな歴史観に繋がる議論も行われ、予想以上の収穫を得た。当日の参加者は34名であった。
 なお本助成金は参加者の交通費に使わせていただいた。この場を借りて感謝申し上げる。

5. 「大元大明研究会」(『大元一統志』『大明一統志』比較研究会)(小二田 章)
  2014年に結成された本研究会は、元末~明初期の史料状況とその社会的背景を探ることを目標として、その時期を挟む二つの「一統志」、すなわち『大元一統志』と『大明一統志』の記載を比較し、併せて関連の記載を検討する会である。構成メンバーは、当該時期に関心を持つ宋~明代の専門研究者であり、基本的活動としては、担当者ひとりが、上述の「一統志」の中の一地域または関心のあるテーマの記載を選び、それに関連する史料研究的報告を行っている。  今年度は、会員の多忙がより顕著になり、三カ月に一回平均での研究会開催に留まった。会員と協議した結果、予定していたシンポジウムの開催は改めて来年度に先送りし、総括としての論文集を再来年度を目標に編むこととした。代わりに、宋代の「総志」研究を行う須江隆氏を招いて公開報告会を開催し、関心を持つ来場者を広く募り、議論の発展を図ることとした。
 2017年3月22日(木)、18時から早稲田大学戸山キャンパス第五会議室にて、須江隆氏による報告「宋朝総志編纂考」が行われた。『一統志』に先立って宋朝が編んだいくつかの「総志」について、その編纂過程と地方志編纂の関連性、さらに宋朝が「総志」の画期になったことについて検討を行った。議論では、コメンテーターの小二田をはじめ、宋朝(北宋期)の「総志」と『一統志』の関連性、さらに「総志」の時代と『一統志』の時代の差異について、活発な議論が行われた。  いただいた助成は、会議後の懇親会費の補助に使用した。改めて、ここに記して感謝を申し上げる次第である。

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〔平成28年度〕
1. 第10回東アジア后位比較史研究会(稲田奈津子)
 2016年9月4日(日)午後1時から5時まで、東京大学史料編纂所演習室において、第10回東アジア后位比較史研究会を開催した。2015年から始まった本研究会は、科学研究費補助金(基盤研究(C)「東アジア諸王室における「后位」比較史研究に関する国際的研究基盤の形成」研究代表者・伴瀬明美)と連動しつつ、前近代東アジア(中国・朝鮮・日本)に共通してみられる「后位」にかかわる儀礼・諸制度の総合的な研究をめざすものである。様々な時代・地域を専攻する研究者が幅広く集い、自由で活発な議論をおこなう場として、毎回のように新たな参加者を迎えつつ継続的に開催している。
 今回は野中敬氏による研究報告「郭太后攷―曹魏王朝後期政治史に関する一考察―」をもとに、議論がおこなわれた。明帝(在位226~239)の皇后であった郭氏(郭太后)は、司馬氏による帝位簒奪に手を貸した人物として知られるが、では郭太后が司馬氏と提携した主体的な理由とは何であったか。野中報告では、蜀漢討伐にともない大混乱に陥っていた西方領域に対する政策方針が、涼州西平を出身地とする郭太后と司馬氏とを結びつける要因になったことを指摘した。また明帝が死の直前に郭氏を立后した目的は、斉王芳の輔政を期待したわけではなく、むしろ外戚・宗室対策のためであったとした。議論では、戦乱の中で短期に終わる曹魏の皇后(皇太后)権を制度として理解する難しさや、養子であり幼帝である斉王芳を支える存在としての立后の意義について、活発な意見交換がなされた。また明帝による外戚集団のとり込み方法の指摘にも、多くの関心が向けられた。参加者は、関西からの参加(保科季子氏・安永知晃氏他)も含む14名であった。
  なお申請時に予定していた海外研究者による研究報告は、来日が年度末に延期となったため、今回は報告者を変更しての開催となった点を附言しておく。

2. 「中国古典文学にみる家族関係」研究会 (加納留美子)
  2016年9月8・9日、常総広域地域交流センターいこいの郷にて合宿形式の研究会を行った。初日は参加者が発表し、二日目に総合討論を行った。発表内容は以下の通り。
 福田素子「借金取りとしての子供」では、本来一番密接な家族関係である親子の間で行われる復讐譚(討債鬼故事)に着目し、子供の立場から親を攻撃する亡霊がなぜ恐れられるかを通史的に論じた。千賀由佳「香山宝巻にみる父娘と母娘の関係」では、父と娘が対立する故事を通して父・母と娘の関係性の差異とその背景の分析を試み、加えて信仰と孝心のせめぎ合いについて言及した。笠見弥生「明末の小説から考える貞節」では、女性が貞節を破ったにも関わらず非難されない作品を取り上げ、貞節とは何かという問題を改めて提起した。加納留美子「蘇軾兄弟の唱和詩」では、北宋の蘇軾・蘇轍兄弟の唱和詩より「夜雨対牀」詩と嶺南・海南貶謫期の詩を取り上げ、兄弟が理想とした将来像の変化を指摘した。遠藤星希「召使いをうたう詩」では、中国古典詩に見える準家族としての召使いについて報告を行い、南北朝期から盛唐の杜甫、中唐の李賀に至る過程で主人と召使いとの距離感に変化が生じたことの意義を明らかにした。王旭東(レジュメ参加)「死者の霊と遺族」では、上古の出土資料から六朝の志怪小説を題材に、遺族が死者の霊に抱くイメージを分析した。
  総合討論では、文学作品に描かれる家族関係と実際の状況との間にズレがあることを確認した。「中国古典文学にみる家族関係」というと、家族関係を知るための史料として古典文学を読む試みにみえるが、文学作品中の家族像は当時の社会制度を必ずしも正確には反映しておらず、虚実が入り混じっている可能性が高いことから、古典文学の作品を読むための材料として現実の家族関係を読み解くことが寧ろ重要という結論に至った。

3. 日本律令の固有法的性格についての再検討 ―日唐宋令の比較研究を通じて―(武井紀子)
 2016年9月11日(日)東方学会会議室において、「日本律令の固有法的性格についての再検討 ―日唐宋令の比較研究を通じて―」研究会を開催した。本研究会は、北宋天聖令の公表を契機とした唐宋期の律令研究の深化と唐代法制史全体への議論の波及を受け、唐令復原の深化と、日唐間の律令継受の特徴を探ることを目的としたものである。
 当日は、賦役令・倉庫令・関市令について、吉永匡史「『新唐令拾遺』各篇目作成細則」、武井紀子「倉庫令における日唐令復原研究」、神戸航介「『新唐令拾遺』賦役令」の三本の報告が行われ、報告者をふくめ七名が参加して自由な議論が行われた。吉永報告では、関市令を事例として、唐令条文排列の復原の再検討を行い、宋令・不行唐令からの唐令復原における諸問題を指摘した。武井報告では『天聖令校証』における唐倉庫令の条文排列復原案を再検討し、天聖倉庫令宋1・2・3条及び不行唐令1・2条について具体的な唐令復原を試みた。また、日本倉庫令の条文排列案および日本倉庫令の未復原条文についても言及し、唐令復原における日本令使用の可能性について問題点を整理した。神戸報告では、唐賦役令の条文排列案と宋1・2条について検討した。賦役令条文のうち、『唐令拾遺』『唐令拾遺補』で復原されていたものの、天聖令中に確認できない条文の排列順が問題となった。この点については、日本令の条文排列構造との比較に加えて、唐代における制度的変遷を追いながら考察することが必要であるとの見解が示された。
 研究会を通じて、日唐令間・唐宋令間の変更をふまえて天聖宋令から唐令字句を復原するにあたり、どのような字句を用いるのが適当かという点に議論が集中した。これは各篇目の中だけで完結する問題ではなく、他篇目における事例と相互に検討する必要があることが確認された。賦役令・倉庫令・関市令の事例をもとに、他篇目も含めた議論への展開が目指され、本研究会は閉会となった。

4. シンポジウム「チベット文明のレジリエンス」 (岩尾一史)
  9月17日(土)、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所(以下AA研)にて公開型シンポジウム「チベット文明のレジリエンス」を開催した。チベット文明は幾度も存亡の危機を経験しつつも、その度に再生し影響力を拡大してきたのであるが、その力強さあるいはレジリエンスはどこからやってくるのか、学際的に検討するのが目的である。
 報告者は井内真帆(神戸市外国語大学、歴史学)、小松原ゆり(明治大学、歴史学)、別所祐介(広島大学、人類学)、根本裕史(広島大学、仏教学)、小西賢吾(金沢星陵大学、人類学)の五人であり、それぞれの専門分野から報告があった。総合ディスカッションでは、登壇者五名とコメンテーターとして招いた大川謙作(日本大学)、小野田俊蔵(佛教大学)、長野泰彦(民族学博物館名誉教授)、石濱裕美子(早稲田大学)の四名を交え、チベット文明の特質について議論した。議論はチベットにおける仏教の占める位置、チベット仏教とその他の仏教との差異などを中心に展開し、チベット研究の問題点にまで議題が及んだ。レジリエンスというテーマの妥当性や文明論の安易な導入への警鐘などシンポジウムの主軸を問うコメントも出たが、全体的にみて充実した議論を世代・分野を越えて共有することに成功したのであり、今後の学際的チベット研究を遂行する貴重な一歩であったことは間違いない。
  なお本シンポジウムは京都大学人文研究所共同研究班「チベット・ヒマラヤ地域の史的展開の学際的研究」とAA研共同利用・共同研究課題「”人間−家畜−環境をめぐるミクロ連環系の化学”の構築〜青海チベットにおける牧畜語彙収集からのアプローチ」(代表:星泉)の共催で行った。 この度の助成金は資料コピー代、休憩中のお茶・コーヒー代などに使わせていただいた。関係の諸先生には改めて御礼申し上げます。

5. 大元大明研究会 (『大元一統志』『大明一統志』比較研究会) (小二田 章)
 2014年に結成された本研究会は、元末~明初期の史料状況とその社会的背景を探ることを目標として、その時期を挟む二つの「一統志」、すなわち『大元一統志』と『大明一統志』の記載を比較し、併せて関連の記載を検討する会である。構成メンバーは、当該時期に関心を持つ宋~明代の専門研究者であり、基本的活動としては、隔月1回、担当者ひとりが、上述の「一統志」の中の一地域または関心のあるテーマの記載を選び、それに関連する資料研究的報告を行っている。  今年度は、会員の就職等の状況変化に伴って研究会をあまり開催できなかったこともあり、会員と協議した結果、予定していた総括とシンポジウムの開催は来年度以降に一旦先送りとなった。その代わりに、昨年度ゲスト報告を行っていただいた、遠隔地在住会員である高橋亨氏による公開報告会を開催し、関心をもつ来場者を広く募り、議論の発展を図ることを計画した。 詳細は別添のチラシにあるが、2016年12月19日(月)、18時から早稲田大学戸山キャンパス第七会議室にて、高橋亨氏による報告「『大明一統志』纂修の時代背景」が行われた。『大明一統志』は同時期の編纂物である『続資治通鑑綱目』と同様に、土木の変を契機とした明朝に対する北方民族のプレッシャーを背景とし、明王朝の自らの正当性の及ぶ範囲内を明示して「内側に向かう」境界設定感覚が表れたものとした。議論では、コメンテーターの吉野正史氏をはじめ、明初期の史料編纂と政治的状況、特に「なぜ明王朝はコンパクトな総志編纂を追及したのか」について、活発な議論が行われた。 いただいた助成は、該報告会への高橋亨氏の参加経費、資料のコピー代、懇親会の補助に使用した。改めて、ここに記して感謝を申し上げる次第である。

6. 「東アジア歴史学において日本史学が果たす役割」若手ワークショップ(新居洋子)
  本ワークショップは、以前ソウル大学日本研究所で開催された第3回東アジア若手歴史家セミナー(2015年8月)の日本側参加者を中心に、2016年12月25日、東京大学東洋文化研究所にて開催された。それぞれ扱う時代や地域、テーマは異なるが、東アジアを拠点として研究を進めるなかで、多かれ少なかれ現在の東アジアにおける変動に由来する問題に直面している。これらの問題を広く共有し議論できる場を作ることが、今回のおもな目的である。そのため通常の研究集会とは異なり、それぞれの研究成果というより研究活動での現在的な課題について議論した。
  まず開会あいさつとして「歴史研究における国際化と標準化のあいだ」(新居洋子)と題する問題提起のあと、5本の報告が行われた。「日本近世史研究と史料保存活動」(藤方博之)では、戦後日本における史料保存の成果と課題を、東日本大震災後の佐倉市における史料調査活動という実例を中心に明らかにした。「明治思想史研究の偏向」(菅原光)では、従来の明治思想史研究における根強い「啓蒙」から「進化論」へ、また「伝統」対「西洋」、という図式の危うさが指摘された。「今日の帝国史研究と植民地史研究のあいだ」(遠藤正敬)では、細分化傾向にある日本植民地研究に対し、「帝国史」や「世界史としての植民地史」という横断的アプローチをとることの利点と問題点が明らかにされた。「近現代東アジア史における境界地域史研究の可能性」(中山大将)では、日本帝国植民地史研究が戦後日本だけでなく東アジア各地やソ連の政治状況による大きな変化を経験し、そのなかで新しい視点をもった境界地域史が立ち上がりつつあることが述べられた。「日韓の歴史認識問題について」(辻大和)では、現在の韓国における歴史叙述を取り巻く状況変化について、最新の情報をもとに分析がなされた。
  なお本助成金は参加者の交通費や資料印刷費に使わせていただいた。この場を借りて感謝申し上げる。
 
7. 「古代東アジア世界における地方統治行政と民衆」ワークショップ (吉永匡史)
  2017年2月11日(土)、金沢大学人間社会1号館会議室において、「古代東アジア世界における地方統治行政と民衆」ワークショップを開催した。
 本ワークショップは、古代東アジア地域における地方統治行政と、これに対峙あるいは協調する民衆との関係および実相について、地域の枠を越えて比較検討することを目指したものである。具体的には、中国秦漢時代と古代日本にスポットをあて、中国史・日本古代史・中央アジア史を専門とする9名の若手研究者により、議論がなされた。
  当日は、秦代・漢代・古代日本の順で、研究報告が行われた。土口史記「岳麓秦簡「執法」考―秦代における領域統治の経路―」は、岳麓秦簡中の律令を利用して、県の上位にあってこれを監督する執法の職務や官制上の位置を明らかにし、前漢の前段階としての秦代の領域支配について、新たな位置づけを試みた。楯身智志「前漢諸侯王墓の統一性と多様性―諸侯王と在地勢力の関係に関する一試論―」は、前漢の諸侯王墓の性格を丁寧に整理した上で、河北の満城漢墓を中心に据えて検討し、在地勢力と対峙する中山王国の支配の実効性との関係について、新知見を提示した。吉永匡史「北加賀の豪族と地方行政」は、加賀地域の地方豪族である道君に着目し、伝世史料や当該地域の古代遺跡から出土した文字資料の分析を通じて、地方支配の実態の解明に努めた。
 3報告ともに考古学的調査に基づく出土資料を検討対象としたが、事前に予想された通り、出土文字資料そのものの性格や、伝世文献に見出せる事例との接続手法が大きな問題となり、活発な討論が行われた。さらに比較史の観点からは、国家と社会の発達段階の相違を踏まえつつ、地方統治にみえる同質性と差異をどのように考えるかについて意見が交わされ、閉会となった。

8. 「日中歴史学研究の最前線」ワークショップ(三浦雄城)
 本ワークショップは、アジア史を専門とする若手研究者が、他分野の研究状況を把握し、それぞれの研究手法を互いに討論することを目的に、2017年3月4日に早稲田大学戸山キャンパスにて開催した。当日は、博士課程の大学院生を中心に19名の若手研究者が参加した。
 まず付晨晨(東京大学大学院博士課程)が「梁代の学術と都城空間」で、主に社会史・制度史の中で進められてきた貴族制研究を文化史の視座から検討、寒門層が学術を涵養する場としての「五館」の性格とその立地を考察した。続いて國弘遥(立命館大学大学院修士課程)が「唐代時期の中国における仏教美術の受容」と題し、美術史の代表的な研究方法を紹介した後、唐代の千手観音像の「地方化」に対する「異文化性」を重視する時代潮流の影響を考えた。次に豊嶋順揮(立命館大学学部生)が「16世紀海域アジアにおける貿易秩序の転換について―「倭寇」王直の構想とその実態から―」で、16世紀の倭寇と海禁の緩和に、従来看過されがちだった中国国内の問題を関連させて検討、沿岸地域の権力者がもつ、倭寇を利用した交易という思惑を指摘した。続いて大平真理子(立命館大学大学院修士課程)が「近世中期における経験科学思想の形成―向井元升と西川如見の思想的系譜をもとに―」で、理気二元論のうち、日本近世の経験科学に対する影響としては捨象されてきた「理」を、二人の知識人を通して再評価した。最後に邉見統(学習院大学文助教)が「前漢時代における王子侯の封建」で、列侯の政治的・制度的位置づけの検討から漢帝国のあり方を模索、列侯の軍職的性格や、近年発掘された海昏侯墓と列侯墓の比較検討などの論点を提示した。
 総合討論では、用紙に記入された会場からの質問に対し、報告者が回答を行った。予想を超える質・量の質問が得られ、本ワークショップの目的は期待以上の成果を挙げた。

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〔平成27年度〕
1. 部派仏教研究会第二回会合(高橋晃一)
 部派仏教研究会は、インドの部派仏教に関係する研究を専門とする若手研究者が中心となり、2014年に起ち上げられた。半年に一度、定期会合を開催し、五、六名が研究発表を行い、その内容について議論をすることで、部派仏教に関する理解を深め、情報を交換することを目的とする。
 第二回会合を2015年6月13日(土)に京都大学において開催し、博士課程の大学院生(京都大学大学院、九州大学大学院、駒澤大学大学院、立正大学大学院、佛教大学大学院、大谷大学大学院)と博士研究員(日本学術振興会特別研究員、東京大学特任研究員)を中心に、16名の若手研究者が参加した。
 会合は5名の発表者がそれぞれ1時間(発表30分、質疑応答と議論30分)を担当するというかたちで進められた。発表者の氏名、所属、題目は以下の通りである。(1)横山剛(京都大学大学院)「アビダルマ範疇論における五蘊の意義とは何か―有漏無漏の五蘊に注目して―」、(2)岸野亮示(日本学術振興会特別研究員)「部派と律(「根本説一切有部律」を中心に)」、(3)一色大悟(東京大学特任研究員)「『順正理論』における如実知と仏説」、(4)田中裕成(佛教大学大学院)「有部四善根説と信の関係」、(5)高務祐輝(京都大学大学院)「知覚と意識―有部と初期瑜伽行派の理解をめぐって―」。
 いずれの発表も部派の定義やその教理の根本に係るものであり、また、分析対象は説一切有部の諸論書における教理にとどまらず、戒律という観点や大乗仏教の教理との比較などからも、部派仏教の思想が多角的に検討された。各発表の後には、発表内容に関して闊達な議論が交わされ、問題点や新たな視点が指摘されるとともに、参加者それぞれの研究領域から関連する情報が提供され、会合がより意義深いものとなった。
 第二回会合を終了するに際しては、次回会合を2016年1月に東京大学で開催することが決定した。

2. ワークショップ「エスニシティと身分登録―事例と討論」(松岡 格)
 2015年7月18日(土)の13時から、獨協大学にて、本事業の支援のもと、ワークショップ「エスニシティと身分登録―事例と討論」が開催された。
 今回は、昨年行った国際シンポジウム「姓名とエスニシティ」の内容・成果をふまえ、これからエスニック・マイノリティ研究会が取り組むべき研究テーマの一つである「エスニシティと身分登録」について企画・展望するものである。
 第一部の冒頭では今後の研究方針も含めて松岡格が「台湾のエスニシティと身分登録―可視化・書類・カテゴリー」についての発表を行った。続けて左地亮子による「フランスの『ジプシー』と身分手帳―共和国の『内なる他者』の構築と管理」についての報告、香坂直樹による「チェコスロヴァキア第一共和国の住民管理とセンサス―1919年のスロヴァキアでの『暫定センサス』から見えるもの」についての報告、小島敬裕による「ミャンマーにおける宗教・民族と身分登録」についての報告が行われた。
 第二部では、第一部の報告内容を受けて森下嘉之、角田延之、辻河典子、栗林大からコメントがなされた。今回のコメントは、報告者各自への個別対応のコメントという形ではなく、第一部で扱われた論点や事例に対する各コメンテーターの所見を述べ、自らの研究地域や領域から事例や観点を補うという形をとった。総じて、本ワークショップで示された論点や研究方針をふまえつつ、登壇者それぞれの事例や観点から、今後研究が拡充されるべきことが確認された。
 そして第三部の総合討論では会場から寄せられた質問、およびコメンテーターからの質問を受けて第一部登壇者からの応答がなされた。新しい研究テーマへの企画・展望としては期待以上の、豊富な成果が得られた。

3. 「王統の継承と交替―王権の理念と実態を考える―」ワークショップ (渡邉将智)
 本ワークショップは、アジア史を専門とする若手研究者が専門分野の垣根を越えて学術討論するとともに、相互の理解と交流を図ることを目的として、2016年3月5日に中央大学多摩キャンパスにて開催した。当日は36名の若手研究者が参加して、東アジア諸地域における王統の継承・交替の事例を比較・検討し、それを通じて王統の継承・交替の歴史的意義について政治史の面から議論した。
 まず、渡邉将智(早稲田大学非常勤講師)が「継承と正統性―後漢桓帝の帝位継承を事例として―」と題する趣旨説明を行い、王統の継承の理念と実態の乖離が王朝の衰退をもたらした事例として、後漢時代の桓帝の帝位継承問題を紹介した。次に小野響(立命館大学大学院博士課程後期課程)が「五胡十六国時代における正統の確立と展開―後趙・前燕・前秦を中心として―」で、五胡十六国時代の後趙から前燕・前秦への非漢族王朝の交替と各王朝の支配の正当性について報告した。つづいて吉永匡史(金沢大学准教授)が「奈良時代末の王統交替―光仁・桓武朝における正当化と排除―」と題して、奈良時代における天武系から天智系への王統の交替について、光仁天皇・桓武天皇の皇位継承問題を中心に報告した。以上の趣旨説明・報告に対して小林晃(熊本大学准教授)と三田辰彦(東北大学専門研究員)が総括的にコメントし、その一環として小林が南宋の帝位継承の事例を、三田が中国南朝の王朝交替や皇太子監国の事例を紹介した。
 総合討論では、まず総合司会の楯身智志(早稲田大学非常勤講師)が趣旨説明・報告の内容を整理し、王統の継承・交替の問題を、集団における「正統」の継承の問題へと抽象化した。その上で、王朝や思想集団などの継承の事例を、各集団の性格や地域性・時代性などを踏まえつつ比較・検討し、人々が「正統」と判断する際の基準や、「正統」の継承がその後の歴史の展開に与えた影響などについて討論した。

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〔平成26年度〕
1. 国際シンポジウム「姓名とエスニシティ―東アジアの中の多様性」(松岡 格)
  2014年7月19日(土)の十三時から、獨協大学にて、本事業の支援のもと、国際シンポジウム「姓名とエスニシティ―東アジアの中の多様性」が開催された。今回のこの場は、これまでの登壇者それぞれの研究(特に松岡の科研研究)やエスニック・マイノリティ研究会で行ってきた議論をふまえ、「姓名とエスニシティ」という新しいテーマに挑戦したものである。
 開幕の挨拶、主旨説明の後、第一部の冒頭では、羅慶春(アク・ウウ)により、中国少数民族、彝族母語による新作詩『ツォチ・ズゥチ』の内容が、作者自身による吟唱の形で発表された。23の名前でつなげられたこの連続詩は、世界に先がけて日本で公開されたものである。続けて楢木貴美子・川上裕子により、アイヌ民族と姓名についての報告、曾有欽による台湾の先住民「パイワン族首長家の姓名と口承文芸」についての報告、小島敬裕による「中国・ミャンマー国境地域におけるタイ族の宗教と姓名」に関する報告が行われた。いずれも東アジアの名付けをめぐる歴史とその多様な伝統の形をよく示す、興味深い内容であった。
 第二部では、以上の内容を受けてパネリストからコメントがなされた。飯島一彦からは日本の事例をもとに、香坂直樹からは東ヨーロッパの事例をもとに、佐藤勘治からはスペイン語圏の事例をもとに、茂木敏夫からは中国語圏の歴史的事例をもとにコメントがなされた。また沈元燮からは羅慶春による新作詩についてのコメントと質問がなされた。第一部で扱われた名付けのあり方とこれらの地域とのそれとの共通点や差異が浮かび上がるとともに、姓名とエスニシティというテーマの予想以上の深さを示唆することとなった。
 そして岡村圭子の司会による総合討論では会場から寄せられた質問、およびパネリストからの質問を受けて第一部登壇者からの応答がなされた。

2. 2014年度京都大学南京大学社会学人類学次世代ワークショップ(福谷 彬)
 2014年8月13日から14日にかけて、京都大学文学部にて、本事業の支援のもと、「京都大学南京大学社会学人類学若手ワークショップ」を開催した。本研究集会は、若手の日中の人文社会科学研究者の交流を目的とし、日本語と中国語によるマルチリンガル方式を採用して、社会学・人類学・地理学・哲学などの分野の研究者が参加し、国際的かつ学際的であることを目指した。二日間にわたるワークショップは七部構成で、各部の終了毎にフロアとの質疑応答を行った。また各発表にはコメンテーターがつき、コメンテーター自身も「研究紹介」を行った。
 開会の辞を石川禎浩先生、閉会の辞を落合恵美子先生より賜った。第一日目には、傅琦「『創造』乱象 交錯する社会ロジック視角下の計画発展」、 阿部友香「東北農村における奉公移動の考察」、巫靚 「戦後日本をめぐる台湾籍者の移動」、 苗国「高齢化の青年層に対する対立」、羅太順「日本と中国におけるヴェーバー受容の問題性」、賈志科「『一人っ子夫婦』の二人目出産意思とその関係因子」、林子博「道徳の標準を求めて―明治日本の道徳教育」の研究発表を行った。また、坂梨健太、中山大将、福谷彬、姜海日、山口早苗が研究紹介を行った。
 二日目は、葉青「現代中国青年の親密関係の『スーパーマーケット化』」、王柳蘭「タイ華人社会と中国ムスリムネットワーク」、陳勇「エリートの制度的交替と階級対立意識」、今中崇文「揺れ動くエスニック・アイデンティティ―『回族』と『回民』の間で」の研究発表を行った。また櫻田涼子、平井芽阿里、矢内真理子が研究紹介を行った。質疑応答では忌憚のない議論が行われた。
 平田昌司先生には全般に渉りお世話になり、厚く感謝の意を申し上げる次第である。なお発表の成果については、原稿の修正が終わり次第出版する予定である。

3.中観派ワークショップ2014「チャンドラキールティの思想再考」(赤羽 律)
 2014年9月12日(金)から14日(日)までの3日間、京都大学文学部にて「中観派ワークショップ2014「チャンドラキールティの思想再考」」を開催した。本ワークショップは、インド仏教中観派の思想研究に携わる若手研究者の相互交流の場として昨年開催された第1回に続くものである。今回は、近年新たな研究成果が数多く提出されている中観派の学僧チャンドラキールティ(ca. 7c)の思想を再考する目的で開催された。参加者は桂紹隆・斎藤明、両教授の他、修士課程の学生を含む若手研究者を中心に総勢17名に及んだ(含部分参加)。
 <概要>初日:趣旨説明・参加者の自己紹介と近況研究報告・チャンドラキールティ研究現状報告(赤羽律)・研究発表(斎藤明)。二日目:(午前)研究発表(古角武睦・横山剛)、(午後)チャンドラキールティ『入中論』第6章第22偈以降の輪読。最終日:(午前)研究発表(赤羽律・宮崎泉)、(午後)輪読の続き・次回ワークショップ打ち合わせ。
 <詳細>初日冒頭で報告されたチャンドラキールティの国際的研究状況を踏まえ、上記5名の研究発表と参加者全員による輪読を行い、チャンドラキールティの思想を多角的に考察した。研究発表では、質疑応答が白熱し、チャンドラキールティの思想の検討はもとより、中観思想全般に至るまで、年齢・立場を超えた自由闊達な議論が行われた。一方、輪読では、最新の研究成果である『入中論偈』のサンスクリット原典と『入中論』のチベット語訳校定テキストを用いて、二諦説を論じる箇所を扱った。加納和雄から『入中論偈』の一部訂正が示唆されるなど、新たな知見が数多く示された。また、これまでの現代語訳に対しても修正が行われ、近い将来予定されている『入中論』注釈部分のサンスクリット原典の出版を前に、一部ではあるが問題点の洗い出しが行われ、研究者間で共有できたことは大きな成果となった。

4.東アジア儀礼文化研究会シンポジウム(稲田奈津子)
  2014年12月13日(土)午前10時から午後6時まで、東京大学史料編纂所大会議室において、東アジア儀礼文化研究会シンポジウム「東アジア儀礼文化の実相と展開―「大唐元陵儀注」の可能性―」を開催した。
 1998年に組織した同研究会は、中国唐代皇帝の喪葬儀礼の実態に迫る史料「大唐元陵儀注」の訳注作業を中心に活動を継続し、2013年2月に訳注書『大唐元陵儀注新釈』(汲古書院)を刊行した。今回のシンポジウムは、本書刊行の総括と発展的活用を企図したものである。
 第Ⅰ部「『大唐元陵儀注新釈』をふりかえる」では、遠藤慶太氏が「『大唐元陵儀注新釈』の批判報告」として、本書編集方針の揺れなど多角的で鋭い指摘をおこなった。ついで内田宏美氏は「「大唐元陵儀注」と考古資料―「明器」の分析を中心として―」と題し、儀注記録と実際の遺物との具体的な比較研究をおこなった。
 第Ⅱ部「「大唐元陵儀注」の新たな可能性」では、まず小倉久美子氏が「日本史学における「大唐元陵儀注」の活用と展望」として、この間の研究の進展状況と今後の課題について明快に整理した。ついで榊佳子氏は「宗廟の廟室配置と昭穆の問題―「大唐元陵儀注」祔廟補考―」と題し、唐代を中心とした太廟神主の配置の変遷とその意義を詳細に分析した。最後に稲田奈津子「喪葬儀礼と文字資料―「大唐元陵儀注」を中心に―」は、儀注の入棺儀式の記述を手がかりに出土文字資料との関連を論じた。いずれも力の入った報告で、議論も大いに盛り上がり、当初の予定を1時間超過しての終了となった。
 今回のシンポジウムでは、子育て世代の研究復帰を支援するために子連れでの参加を奨励し、実際に参加を得ることができた。会場設営やプログラムに若干の工夫をしただけで、会の運営には全く支障が無かったばかりか、なごやかな雰囲気の中で議論もより深められたことを付言しておきたい。

5. 嘉慶朝研究会(新居洋子)
 本研究会では、月に1~2回ずつ若手の明清史研究者が集まり、嘉慶朝の歴史的位置づけと意義について議論を重ねている。活動の核は『嘉慶道光両朝上諭檔』所載嘉慶朝漢文上諭檔の全文に対する、訳注作成である。半年ごとに完成分の整理を行い、嘉慶朝の政治運営の特質について討論を行っている。今回助成を受けたのは、この整理と討論の回にあたる2014年7月24日と2015年3月9日開催分であり、東京大学総合図書館演習室を会場とした。
 参加者は相原佳之、陳永福、豊岡康史、村上正和、および申請者である。 今年度は、昨年度に引き続き嘉慶帝が親政を開始した嘉慶四年の上諭檔に取り組んだ。近年、中国語圏ならびに英語圏では、嘉慶帝の政治運営に関する研究が増加傾向にあり、世界的に嘉慶朝に対する再評価の機運が高まりつつある。これは恐らく、現代中国政治への関心とも無関係ではないと思われる。こうした機運と相互連携しつつ、安易な一面的嘉慶朝像の創造に向かうのを避けるためにも、本研究会では昨年度から『嘉慶朝上諭檔』所載檔案を敢えて取捨選択せず全て取扱い、同時に『仁宗睿皇帝(嘉慶)実録』との詳細な比較検討を行うという方針を継続している。さらに今年度の課題として、檔案中に頻出する用語を用例とともに整理し、グロッサリーの作成も進めた。 今年度も、訳注作成を通して、嘉慶朝の様々な側面が把握された。この時期における特筆すべき点の一つとして、裁判案件の処理などの行政手続き上の迅速化、効率化が常に目指されたことが挙げられる。また周知の如く、嘉慶帝は「言路を開く」政策を打ち出したが、今度は政策提言(明らかに的外れなものを多く含む)が集まり過ぎるという事態が発生している。嘉慶帝は、政策提言の資格を制限する方向で指示を出したが、これは「言路を開く」政策の一貫性を考える上で、示唆に富む事案といえる。
 助成金は参加者の交通費および資料の印刷費などに使わせていただいた。昨年度に引き続き助成いただいたことに、この場を借りて厚く感謝申し上げる。

6. 「東部ユーラシアの王権と政治思想―王権を支えた虚構―」ワークショップ(会田大輔)
  本ワークショップは、中国史・日本史・内陸アジア史の若手研究者が集まり、東部ユーラシアに成立した諸政権における政治思想について議論することで、新たな王権論のヒントを得ることを目的として、2015年3月7日(土)に早稲田大学で開催した。参加者は40名を数えた。
 一口に政治思想といっても、範囲が広く、論点が拡散してしまうため、今回は政治思想を支えた「虚構」に焦点をあて、「虚構」が王権の正統化に果たした積極的役割について、4名の報告と2名のコメントをもとに議論を行った。 まず、会田大輔(日本学術振興会特別研究員PD)が「天と王権―北周宣帝の挑戦―」で趣旨説明を行った後、王権を支える「虚構」の構築に失敗した例として、北周宣帝の天元皇帝自称について報告した。続いて戸川貴行(日本学術振興会特別研究員PD)が「古代東アジアにおける礼楽制度の相関性と自立化」で、南朝における「伝統」(楽制)創造の過程を論じた後、楽制が新羅・古代日本にどのように享受され、位置付けられたかについて報告した。次に、大高広和(福岡県世界遺産登録推進室)が「古代日本における中華思想の構築と展開」で、蝦夷・隼人概念の構築過程を中心に、古代日本の中華思想の展開について報告した。続いて、新見まどか(大阪大学博士後期課程)は「唐代藩鎮における泰山信仰 ―『太平広記』所収、平盧節度使関連記事を中心に―」で、『太平広記』所収の記事に基づき、平盧節度使が藩帥交代の際に泰山信仰を利用し、権力の正当化を図ったことを示した。これらの報告を踏まえ、楯身智志(早稲田大学非常勤講師)に漢代における正統観の変遷について、齊藤茂雄(大阪大学特任研究員)に遊牧民における血統原理についてコメントしてもらった。会の最後には参加者全員による総合討論が行われた。各報告に対する質疑応答のほか、「虚構」という概念を巡って活発に議論が行われた。

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〔平成25年度〕
1. ワークショップ「多様な境界線とマイノリティ―中国語圏の事例の検証」(松岡 格)
 2103年7月20日(土)の13時から、東方学会会議室にて、本事業の支援のもと、ワークショップ 「多様な境界線とマイノリティ―中国語圏の事例の検証」が開催された。今回のこの場は、これまでエスニック・マイノリティ研究会で行ってきたワークショップや研究会で議論されてきたことをふまえ、再度中国語圏の事例を通して具体的に検証するという主旨で設定された。
  ワークショップ第一セッションでは、持田洋平「華人社会内部の境界とその統合―シンガポール総商会の創設と活動を中心に」、土肥歩「一九一〇年代における嶺南大学の募金活動についての考察―南洋における『境界』と『キリスト教』を中心に」の二本の研究報告が行われ、これに対して辻河典子氏、浜田華練氏から論評と質問がなされた。持田報告ではシンガポール華人社会の統合と多種の公益実現との関係、土肥報告ではキリスト教会と華南地域社会との多様な関係性が論点となった。
  第二セッションでは、山﨑典子「近代中国における『漢人回教徒』説の展開―『民族』を志向しなかったムスリム・エリートたち」、小島敬裕「中国・ミャンマー国境の地域社会と徳宏タイ族の仏教実践」の二本の研究報告が行われ、これに対して遠藤嘉広氏、宇田川彩氏から論評と質問がなされた。山﨑報告では回族を民族としてとらえるかどうかをめぐるムスリム内部の議論が丹念に提示され、小島報告では中国雲南省徳宏州の仏教実践をめぐる人の移動と、それに関わるポリティクスが紹介された。
  以上どちらのセッションでも、フロアからも多くの意見が出され、充実した議論が行われた。 また最後に、香坂直樹「中央集権国家と国内境界―戦間期チェコスロバキアの事例」の研究報告がなされ、これに対して角田延之氏から論評と質問がなされた。またフロアからの質問をまじえて、今後の活動についての活発な意見交換が行われた。

2.「嘉慶朝研究会」活動報告 (新居洋子)
  本研究会は、『嘉慶道光両朝上諭檔』収載の嘉慶朝漢文上諭檔の訳註作成を目的として、2012年3月に結成された。目下、嘉慶帝が親政を開始した嘉慶4年の上諭檔に取り組んでおり、メンバーが交代で訳注作成を担当し、毎月一回の会合で検討を重ねている。本研究会では、各メンバーの専門に近い檔案を割り振ったり、特定の案件に関わる檔案のみを取り上げたりするのではなく、時間軸に沿って全檔案に訳注を付す形をとっている。また並行して『仁宗睿皇帝(嘉慶)実録』も読み進め、上諭檔との比較を行っている。
 今回助成を受けたのは、6月13日(木)と12月19日(木)に開催した会である。参加者は相原佳之、陳永福、豊岡康史、村上正和、および申請者である。この二回は半年毎の節目にあたるため、まず通常どおり各担当分の訳注の発表と検討を行った後、既に作成した訳注全体を整理しながら議論を行った。嘉慶帝は、乾隆帝の治世からの負の遺産ともいうべき様々な問題に対処するため、「維新」の名の下に様々な政治改革を精力的に行っている。この間の政治変動の過程を詳細に追うことで、康雍乾の「盛世」に対する「衰退」の如き図式化に当てはまらない嘉慶朝像が浮かび上がりつつある。変動の中身を具体的に挙げると、政治運営の中枢における人事の動きや、関税に代表される中間搾取の抑制を目的とした支出収入項目の縮小、そして玉や人参等の専売商品の取り扱いの変化、などである。
 今回の助成金は、資料複写費や参加者の交通費などに使わせていただいた。この場を借りて感謝申し上げる。

3. 「君臣関係の“公と私”─側近集団の位置付けをめぐって─」研究会報告 (齊藤 茂雄)
 本会は、中国史・日本史・内陸アジア史などの若手研究者が集まってそれぞれの研究テーマについて意見を述べあい、研究の幅を広げると同時に若手同士の交流をはかるために催された。そのテーマとして、それぞれの地域・時代における側近集団を取り上げた。というのも、側近集団はあらゆる政治集団に通時的に見られる存在であるため、様々な時代・地域における姿をそれぞれの専門研究者が提示することにより、私的な人間関係が公的な国家組織に変化していく過程を検討する材料となるからである。
 本会は、2014年3月8日に早稲田大学で開催され、32名が参加した。まず、齊藤茂雄(大阪大学・研究員)が「側近集団とはなにか─比較史の視点から─」で趣旨説明を兼ねて内陸アジア遊牧民の側近集団について報告した。続いて渡邉将智(大東文化大学・非常勤)が「漢王朝の側近官とその展開─後漢のブレーントラストを中心に─」で、後漢における側近官の役割と漢王朝における側近官の変遷について報告し、報告後には植松慎悟(九州大学・研究員)がコメンテーターとなった。次に、林美希(早稲田大学・助手)が「唐代北衙禁軍の特質と歴史的位置づけ」で、唐の皇帝近衛兵である北衙禁軍の特質とその変遷について論じ、石野智大(明治大学・助手)がコメンテーターとなった。そして、十川陽一(慶應義塾大学・非常勤)は「日本古代における側近と律令国家」で、日本古代史において側近と考えられる存在の抽出と性格付けを、天皇家産との関わりから行い、吉永匡史(工学院大学・非常勤)がコメンテーターとなった。
 さらに、会の最後には報告者とコメンテーター全員による総合討論が行われた。フロアからの発言も活発にあり、同年代の集まりということもあって忌憚のない意見が交わされた。今後、本会によって得られた知見と人間関係が、問題意識の共有や協力関係の構築に大いに役立つであろうと期待される。

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〔平成24年度〕
1. ワークショップ「中国語圏のエスニック・マイノリティ―近現代における社会変化の諸相」活動報告(松岡 格) 
  2012年7月21日(土)の14時から、東方学会会議室にて、本事業の支援のもと、ワークショップ「中国語圏のエスニック・マイノリティ―近現代における社会変化の諸相」が開催された。エスニック・マイノリティ研究会の主催するワークショップとしては、第2回に当たる。同研究会は「エスニック・マイノリティ」とは何なのか、学術的に議論していく場として2010年11月に創立され、書評会、研究報告、講演会などの活動を行ってきた。
 ワークショップ第1セッションでは、児倉徳和「言語から見る『シベ語と漢語』の変容」、バートル「モンゴル族の口承文芸についての考察―語りの現代的実践」、林麗英「台湾原住民族意識と文化志向性の接合点―アワ栽培の復興プロジェクトを中心に」、松岡格「ジンポー族の20世紀―首長制社会とその再編」など四本の研究報告が行われ、これに対して辻河典子氏、土肥歩氏から論評と質問がなされた。
 第2セッションでは、小林亮介「『ロパ族』・『モンパ族』と近現代―中国・チベット・インドの狭間で」、山﨑典子「近代中国におけるイスラームと『民族』概念―ユーラシア地域研究からの一試論」、持田洋平「マジョリティとマイノリティの間で―華人からみるシンガポール、東南アジア」など三本の研究報告が行われ、これに対して遠藤嘉広氏、香坂直樹氏から論評と質問がなされた。
  どちらのセッションでも、フロアからも多くの意見が出され、充実した議論が行われた。今回、中国語圏におけるマイノリティに関して様々な角度から問題提起が行われたが、特に報告者各自が示す具体事例から、国家・地域・言語・民族に関わる認識の境界線が多様なアクターによって設定・再設定されていること、そうした境界線をめぐる権力関係も重層的なものとして存在していること、マジョリティとマイノリティの間の境界線も操作可能であること、などが指摘・認識されたことが重要な成果である。

2.「.第3回若手チベット学研究者国際会議」活動報告(岩尾一史) 
  2012年9月3日から7日までの5日間、神戸市外国語大学にて第3回若手チベット学研究者国際会議(The Third International Seminar of Young Tibetologists、以下ISYT)が開催された。ISYTは博士論文提出後ないしは研究職に就いてから6年以内の「若手」研究者のための学会である。国際チベット学会(International Association of Tibetan Studies)が大規模化するのに伴い、若手に発表の機会を与えるという使命の下に創設され、2007年にロンドンで第1回、2010年にパリで第2回、そして神戸で第3回会議が開催されることになった。
 今回の会議では、岩尾一史(神戸市外国語大学)、熊谷誠慈(京都女子大学)、西田愛(神戸市外国語大学)、山本明志(大阪大学)の4人が組織委員となって準備にあたり、そのうち岩尾が代表を務めた。会議参加者数は前2回と比較して大幅に増え、口頭・ポスター発表者を合わせて73人で、オブザーバー参加が20名である。参加者の国籍は、欧米各国、中国、韓国、台湾、インドなど17カ国に及んだ。
 9月3日午前に開会式と御牧克己京都大学名誉教授による講演が行われた後、同日午後から6日まで口頭発表が行われ、宗教、歴史、言語、文化人類学など多分野の発表が行われた。また、今回は初の試みとしてポスター報告が5日に開催された。7日は全体運営会議とエクスカーションが実施された。
 発表はいずれもレベルが高く、加えて参加者が若手主体ということもあり、国籍・分野の垣根を超えて率直かつ真摯に意見を交換することができた。また特筆すべきは日本人研究者の活躍で、我が国のチベット学の水準を示すことができたと思う。さらに学問的側面のみならず、懇親会やエクスカーションなどを通じて参加者相互は親密度を深めることができた。本会議で培われた国際的紐帯が、今後の国際的な研究協力の核となることは間違いないであろう。
 会議のさらなる詳細はホームページ(http://www.isyt.org/)を参照されたい。ホームページからは発表概要集もダウンロード可能である。さらに、2014年には会議の発表成果をまとめた論文集を神戸市外国語大学から出版する予定である。なお、この度の助成金は会場費、資料コピー代などに使わせていただいた。関係の先生方には、委員を代表して御礼申し上げます。

3.「唐宋期における令の性質についての基礎的研究」活動報告(吉永匡史) 
 唐は律令制が最も高度に完成された時期であり、古代日本はこれを継受して独自に律令を撰定したことから、唐令研究は中国史・日本史双方の研究者によって進められてきた。そして1999年に中国寧波の天一閣で北宋天聖令の残本が発見され、唐宋令の研究は日本・中国・台湾で近年活発に進められている。本研究会では、天聖令を含めた唐宋期における令の性質について基礎的研究を行い、唐令復原研究および日唐宋令比較研究の新たな視点・手法の構築を目的とした。
 本研究会は2012年12月8日に開催し(於東方学会会議室、参加者7名)、吉永匡史「唐宋期の法制書に引用される「令」の性質」、武井紀子「倉庫の出納管理体制とカギ-天聖倉庫令宋24条の検討-」、西本哲也「唐厩牧令の条文排列の再検討-駅伝関連条文を中心に-」の3本の報告を行った。吉永報告は、『故唐律疏議』や『宋刑統』に引用される各種の「令」について、その性質や編纂年次、引用方法について篇目の枠を越えて考察を行った。さらに『唐令拾遺』の復原手法・姿勢を再考することで、唐令条文復原の新たな手法・視点を提示した。武井報告では、倉庫門のカギの管理について定める天聖倉庫令宋24条を取り上げ、唐倉庫令における倉庫自体のカギ管理規定の存否や、対応する日本令条文(復原8条)の内容について検討した。西本報告は、唐厩牧令の条文排列について、天聖令中の不行唐令の順序を生かしつつ、動物関連条文群と駅伝関係条文群という2つのまとまりとその論理構成を重視し、宋家鈺氏とは異なる排列案を提示した。
 本研究会では、法制文献にみえる「令」の性格の基礎研究、唐令の条文排列の復原、唐宋令や対応する日本令の個別検討といった様々な観点から、日唐宋における「令」の性質を考察した。天聖令が発見・公表された新たな研究段階において、若手研究者が今後取り組むべき問題点や研究手法を多く提示・共有することができた。

4.「アジア世界における古代国家論再考」研究会報告 (楯身智志)
 本会は、1980年前後生まれのアジア史を専攻する若手研究者が集い、特定のテーマをめぐって忌憚なく意見を述べ合う場として開催した。今回設定した「国家とは何か」という問題は、歴史学研究を推進していく上で避けては通れないテーマであるが、国家に対するイメージは研究対象とする時代・地域、あるいは利用する史料やその解釈如何に応じて、玉虫色に変化し得る。ならば、国家と社会を対峙させるような見方は本当に妥当なのか。また、若手研究者がそれぞれ国家に対していかなるイメージを抱いているのか、そのイメージを互いにぶつけ合ったとき、国家に対するイメージを共有し得るのか否か。こうした問題意識の下、本テーマを設定した。
 研究会は2013年3月9日(於早稲田大学)に開催し、28名が参加した。楯身智志「古代国家権力論再考」では、上記のテーマ設定の背景について説明した。福永善隆「漢代における内朝の構造と展開―漢代官僚機構の特質と関連して―」では、前漢政治史に重要な役割を果たした内朝の形成が、「官府の重層的連合体」とも称される当時の官僚機構全体に与えた影響について分析した。齊藤茂雄「啓民可汗の生き残り戦略―隋・突厥君臣関係再考―」では、隋と東突厥の君臣関係について再検討し、両者が単純な支配・被支配ではなく、実際には共生関係とも呼び得る関係にあったことを論じた。武井紀子「日本古代地方支配における“官”と“私”」では、唐代律令制と日本古代律令制における「公」・「官」・「私」の概念の相異について分析し、日本古代における在地首長層を介した国家の人民支配のあり方を論じた。総合討論では、地域ごとの国家イメージの相異や、「国家とは何か」というテーマ設定の困難さなどについて、活発に議論することができた。
 本会を通じて得られた知見は、今後、専攻を異にする若手研究者が共通のテーマの下で問題意識を共有していくための大きな糧になるものと期待される。

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〔平成23年度〕

1. 「昌黎会」活動報告 (好川 聡)  
 平成23年4月25日(月)と5月30日(月)に京都大学文学部で開催された「昌黎会」の活動報告をいたします。「昌黎会」は、韓愈の全詩訳注の刊行を目的とした研究会で、平成21年の3月に発足しました。京都大学の川合康三教授が中心となって毎月開催され、『韓昌黎詩繫年集釈』(上海古籍出版社)の編年順に読み進めています。執筆を担当する14名のうち、約半数を若手研究者が占めています。
 4月の研究会では、『繫年集釈』巻三終わりの「晩泊江口」(担当:川合康三、以下敬称略)、「龍移」(川合康三)、「永貞行」(二宮美那子)、「木芙蓉」(好川聡)、5月には巻四始めの「春雪(看雪乗清旦…)」(伊崎孝幸)、「春雪(片片駆鴻急…)」(鈴木達明)、「早春雪中聞鶯」(谷口高志)、「和帰工部送僧約」(緑川英樹)が検討され、活発な議論が交わされました。
 今回検討した詩は、韓愈が陽山への左遷を量移されて江陵へ赴く道中のものと、法曹参軍として江陵府に着任したときのものです。当時の韓愈の複雑な心情を反映してか、難解な表現も多く、担当者が解決しきれないまま提出した箇所も多々ありましたが、参加者全員で色々意見を出し合っているうちにおおむね解決することができました。逆に意見が出すぎてまとまらないこともありましたが、誰もが気兼ねなく意見を言い合える雰囲気がこの会の良さであり、今後も訳注の完成に向けて皆で頑張っていきたいと思います。
 この度の助成金は、若手研究者の旅費や、底本の世綵堂本を配付するためのコピー代などに使わせていただきました。 なお、これまでの成果は、原稿の修訂が終わり次第、順次研文出版より刊行される予定です(全五冊予定)。その際は是非御批正の程よろしくお願い申し上げます。

2.. 「中国北宋天聖令を用いた日唐律令制比較の基礎的研究」活動報告(武井紀子) 
 中国北宋天聖令は、唐令に改訂を加えた北宋代の現行法令に加え、不行の唐令を附載しており、日唐律令制比較研究の新たな注目すべき史料として、1999年の発見以来、中国・台湾・日本でそれぞれ研究が進められ、日中で多くの関連シンポジウムが開催されるなど活発な学際的研究分野となっている。本研究会は、天聖令研究の意義や問題点の解明から、新たな日唐律令制比較研究の方法論を確立していくことを目指す。以上のような目的のもと、2回の研究会を実施した。
  第1回研究会(2011年6月11日開催、於東方学会会議室、参加者6名)では、武井紀子「律令制と古代財政史」、吉永匡史「律令制と軍事制度研究」の二本の報告を行った。武井報告では、日本古代財政制度に関する研究史を整理するとともに、古代財政史における律令制研究の意義と問題点、天聖令研究の有用性を指摘した。また吉永報告では、公表された天聖令に含まれていない軍防令の復原について、日唐令の比較研究の新たな手法を提示した。
 第2回研究会(2011年11月23日開催、於東方学会会議室、参加者9名)では、武井紀子「倉庫令条文の淵源について」、吉永匡史「天聖関市令と蒲津関」、大津透「袮軍墓誌と日本国号」の報告を行った。武井報告は、倉庫関連法令の淵源を中国法典編纂の歴史の中で考えた。吉永報告は、唐代蒲津関の検討を通じて天聖関市令から唐令の復原にせまった。大津報告は、近年中国で発掘された百済人袮軍墓誌にみえる「日本」という語の意味について検討を行った。
 本研究会は、天聖令そのものの史料的性格の検討にくわえ、天聖令を用いることによる様々な研究手法をさぐる事を目的とした。2回の研究会を通じて、唐令条文の復原作業、天聖令に含まれない篇目内容へのアプローチ、今までの研究史のなかでの律令研究の位置づけ、唐代の制度・実態の法的淵源への言及など多岐にわたる方法・問題点を提示できた。

3.  「若手中国史論壇―コミュニケーション・ヒストリーの試み」活動報告(柿沼陽平) 
 本会は、1980年生前後の若手を中心とする研究会で、若手が相互に研究を紹介し合い、忌憚なく意見を述べ合う場である。若手の相互理解を促進し、一定程度の学術交流網の構築に繋がるものと期待される。最終目的は、若手同士が今後共同研究を展開しうる余地があるか否か、あるとすればいかなるものかを模索することである。当面は、柿沼陽平『中国古代貨幣経済史研究』(汲古書院、2011)の提唱する、「人間社会は多種多様なコミュニケーションの上に成り立ち、時代ごと地域ごとに特徴をもつ。よって中国史研究でも各時代・各地域のコミュニケーション原理(貨幣経済・贈与交換・家族関係等々)と各原理間の相互関係を検討することが重要」との発想に基づく共同研究「コミュニケーション・ヒストリー」の可能性を模索する方向で進む予定である。
 第1回研究会は、2012年3月4日(於東方学会)開催で、24名が参加した。柿沼「コミュニケーション・ヒストリーの試み―交換史観の理論的背景―」は題名の理論を説明した。会田大輔「 「梁主」から「島夷」へ―西魏・北周・隋における対南朝意識―」は、西魏・北周・隋の中華意識の変容過程を解明するため、諸史料に出てくる南朝表現を分析した。三田辰彦「東晋皇帝制度研究序説―皇位継承を中心に―」は、東晋皇帝制度研究を整理し、報告者の個別研究を紹介した上で、今後の考察課題として爵制原理・家族原理の整合化という問題を提示した。河上麻由子「古代アジア世界の対外交渉と僧侶」は、僧侶の往来を通じて国家の政治的意志が伝達されたと推測できる事例を、南北朝~唐代のアジアを対象として調査した。 吉永匡史「日唐征討軍の内部秩序と専決権」は日唐軍防令の比較検討を切り口にして、征討軍(行軍)編成と内部秩序のあり方を明らかにした。以上、活発かつ有意義な議論が行なわれ、研究細分化に対して共同研究を推進する重要性が確認できた。

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